今回印象に残ったお話では、‘‘経験的な分析‘‘の流れから暗黙知という言葉が挙げられていたことでした。この意味は、
「言語的に形式化できない」
ということを示しているようです。
これには自転車の乗り方や医学的な診断などが含まれているとのことでした。つまり、医学的な診断には言語的に形式化できない、科学的に立証できない部分があるということなのでしょうか。
特にリハビリの世界でも暗黙知として形成される要素は多くあり、ある種の自動化、無意識化の過程を経るということを述べていました。
たしかに私個人患者さんとのやりとりで良いと思ったことを、他者に言語化して伝えることができないことが多いです。
生物と微生物のあいだ;福岡伸一を引用していた言葉で、
「医者がX線写真をみているものは、胸の映像というよりはむしろ彼らの心の内にあらかじめ用意されている理論なのである」
というものが挙げられておりました。
この話を聞いてとても衝撃をうけました。医者だけでなく、リハビリの世界においても充分考えられることで、同じ患者さんをみていても客観的事実をみていない可能性が大いにあり、それは患者さんのための治療選択のための判断を誤める要因にもなるということでした。
私は患者さんについて学生さんのお話を聞いたとき、
「何故そうみえたのか」
と疑問に思うときがたくさんあります。
上記内容を考慮すると、頭がやわらかい学生さんのみた世界が本当の事実で、私がみたものは、私がつくりだした都合のよい理論である可能性が大いにあります。
学生からしたら、事実と異なることを当たり前のように、しかもそれが正しいかのように私から説明されるので、どのように解釈したらわからないかもしれませんね。
一方で、ロバート・Cによると、
「今の医学の世界では科学的立証されることに重点的におかれ、すばらしい治療法があるのにもかかわらず、その活用は権力(科学)におって妨害されていることが残念でならない」
「現代科学のおさえがたいこの欲望によって、医のアート、医術が復活することはない」
と述べています。
理学療法士さんのブログhttp://ameblo.jp/ksouichi/entry-11195800886.htmlでも、医学の世界では経験と勘の大切さについて分かりやすく述べていました。
経験によるものは、言葉に形式化できない要素があるのだと改めて感じました。科学的に立証することだけでは臨床での答えを引き出すことは難しく、その人特有の‘‘勘‘‘も重要なのですね。
だからといって、その勘も客観的事実に基づいているとは必ずしもいえず、常に確認していく作業が必要なのだと思いました。
これにより、賛否両論であることは承知の上ですが、科学的に立証することだけに目を向けず、ロバート・Cさんが述べるよい治療法が自分のなかで蓄積できるように、日々患者さんから学ぶ姿勢を怠らないようにしていきたいと思います。
加えて、それを客観的事実と結びつけて適切な治療を選択していく努力も必要だと思いました。
また、学生さんを担当することで、無意識にシャットアウトしている視点を取り戻していけることに、感謝の気持ちをもちつつ責任ある指導的立場としてしっかりとかかわっていきたいと思います。