2012年2月16日木曜日

活動分析研究会発表への挑戦

一昨年職場が変わってから、一番下の立場が今では経験年数でいえばトップに近い立場となり、一気に職場での位置づけや動きも変わっています。下を指導する立場としての経験がなさすぎて毎日悩んでいます。これは私にとってとても良い経験ですが、デメリットも感じています。それは、指摘される機会が圧倒的に減っていることです。

今回、約4年ぶりに山梨で開催される活動分析研究会に発表することを決めました。この大会には勉強熱心でレベルの高いPT・OT・STがたくさん集まります。いつも上目線で下に指導している自分が、普段どれだけ出来ていないか、さぼっているか、何も考えていないか・・・見つめなおすにはとてもいい機会だと思いました。
今回のテーマは私の最も苦手とする「足」についてです。何故、変化がみられたか。この変化が実際に何をもたらしたのかを考えています。が、全くまとまりません。学生がレポートを書けない状況と何もかわりません・・・。なのに学生には偉そうにしている自分がいるわけです・・・。
【介入前】                                            【1ヶ月後】


加えて良い経験となったのが、私よりも経験年数の低い方に原稿を読んでもらったことでした。何度も何度も確認しているつもりが、他の方に読んでもらうことで気付かなかった点がかなり多く見られたということです。また、私と違った視点で意見を出してくれる機会にもなり、とても勉強になっています。この文献は、他の人にたくさん読んでもらうことの重要性を述べています。原稿を書く上で、私の頭でもとてもわかりやすい内容になっています。


これを読んだところで急にきれいに書けるものではなかったと今ながら痛感しています。日本語だけでなく考察できない点から、普段の臨床の態度がもろにでているのだと思います。

原稿締め切りまでできるだけ私の考えが伝わるように、しっかりと完成させていきたいと思います。

そして本番では、たくさん叩かれへこむことで、自分の弱さを少しでも改善できるように引き締めていこうと思います。

2012年2月11日土曜日

認知心理学~表象とアフォーダンス~

表象とは、あるものを表現する表記、記号、シンボル、あるいはそれらの集合体とであるといわれています。外的な表象では、ある人物の肖像(夏目漱石)は表象にあたります。内的な表象は心の中に表現されたものであり、心理学者の多くは、内的な表象に関心をもっているようです。

例えばエンジンにカメラをつけ、信号は映すことができても、信号に合わせたエンジンの切り替えができない。このように、私たちが「みる」ということは、知覚を示し、知覚とは外界の情報を意味づけし、内的な表象を作ることであると述べています。
左図のパチンコ玉を飛ばしてきそうな男の写真です。この写真を見て、この男が行うだろう行為(パチンコを飛ばす)を写真に「見てしまう」ことになると述べていました。

このように表象を操作することによりあらゆる認知活動が行われると考えられてきました。しかし、表象を重視せず、その必要性を認めない興味深い研究者がいます。Gibsonは、情報がふんだんにある実際の知覚世界では、われわれを取り巻く光の情報から不変項を「直接」ピックアップすることで知覚に基づく行為が可能になると考えていました。
afford(与える、供給する)という視点から、平らな地面は立つことをアフォードさせる。右図のポストも、手紙を投函することをアフォードする。このことは、われわれがこれらのアフォーダンスを視覚世界から直接ピックアップし、行為につなげているとGibsonは考えたそうです。

たしかに認知症の方とのかかわりでは、椅子を「椅子」と答えられない方がいます。しかし、椅子を前にすると座るという行為に移ることがあり、疑問に思うことがたくさん出てきます。これは、今までの経験による蓄積によって内的な表象が本当はあって、単に表出できないだけなのか。それとも椅子という存在が座ることを直接ピックアップしてaffordしたのか・・・。

うーん、答えは全くみえませんが、とても深いです。

参考文献:

認知心理学

2012年2月5日日曜日

随意運動と姿勢反応

「上肢の到達運動課題を行う際の姿勢反応において、両脚や体幹、反対側の腕、同脚の脚の活動を引き起こす」
このような例として、姿勢変化が随意運動前の身体姿勢と動作課題に依存している(APA)の話はよく聞き、私も臨床では注意すべき点として捉えてきました。これに対して神経生理学では、下降路性、フィードフォワードの関連性について述べている文献が数多くみられるようになっています。

しかし、このような姿勢反応に必要な神経生理学の下降路を、
「柔軟性の少ない下降路」
と述べている文献がありました。つまり、認知要因や動作状況の前後関係によって姿勢反応が変化するものであり、目的志向的な姿勢調節を事前にプログラムする随意運動の内的表現を意味するものと考え、むしろフィードバック機構として、大脳基底核や小脳との関わりが重要であると述べているようです。

単に、リハビリ室で対象者が受け身的になっていたり、ハンドリングだけでの介入だけでは今解明されてきているシステムだけでは不十分である、と理解してよいのでしょうか。

「トイレに行きたい」「何か飲みたい」
普段、何も感じずに当たり前のように介入してしまう私・・・。
この時に起きる・立つ・手を伸ばすなどの行為そのものが、随意運動の引き出せる最高のチャンスであり、このような個人の意志や感情の状態に合わせたハンドリング介入を意識すべき点として私は理解するようにしました。