2014年6月23日月曜日

AKA博田法 学術集会に参加して

 第15回、AKAの学術大会(大阪)に行って参りました。参加してみて改めて感じたことは、博田先生のすごさを見てショックを受けたことです。

 当たり前の話ですが、次元が違うと表してよいのでしょうか。この治療法は「博田先生だからできるのではないか」と思わされました。

 日本ですごいセラピストをたくさんみてきた私ですが、特に博田先生には「こんなのできっこない」とどん底まで突き落とされた感でした(博田先生はdoctorですが)。

 AKAインストラクターの先生方が「あの方と同じことをするのは無理」といっていた言葉が、素人の私でも何となく理解できました。文頭に述べた「ショック」とは、AKA博田法がいつか自分でも技術をなんちゃってレベルまでは習得できるのではというかすかな希望が打ち消されたことです。

 ここでAKAのことは何も語れない私が、いくら表現しようとしても無理があります。今回、AKAだけでなくどの分野にも大切なことだと発見させて頂いた内容について簡潔に述べさせて頂きたいと思います(あくまで私の主観的な解釈の内容になります)。

 特別講演された片田先生のお話でした。特に重要視されていたのは「科学」でした。AKA博田法でも、治療対象として評価されている「腰痛」そのものは、実のところ約85%は不明で、AKA博田法をのぞく治療法は確立されていない現状であるようでした。1950年代は椎間板がほとんどと言われていましたが、1990年にMRIが普及し始めると、椎間板に問題があるのにもかかわらず、腰痛の訴えがない人が多かったということで、筋結合組織や骨関連、精神疾患関連と幅広い視点で注目されるようになっているようです(逆に言えば診断が定まらずあやふやになってしまうため、治療法もあやふやになってしまう・・・)。

 このように、医学は様々な分野における規則や規則基準を学び、意見を一致させるように教育されているようです。研究においても、研究グループ内の業績を磨き上げようとし、研究内グル―プの求める情報が集まります。結果的に情報が集まるということは、科学的に証明していくという感覚に陥ってしまう。

 つまり、腰痛の原因が椎間板であると信じられ、それに対し、たくさんの情報を蓄積してきたけど、ある瞬間によってパラダイムシフトが起きてしまった。

 科学を証明するためには、技術を磨きあげる努力と、あたり前であることに捉われず、斬新な発想が必要であると述べられていました。最後まで自分を信じ、技術を磨き続けることの大切さを教えて頂いた気がします。

 AKA博田法は、様々な考え方のなかの一つの治療方法であり、今日の学術ではたくさんの方が参加されていました。おそらく、周囲から認められるまで、私には理解できない並みならぬ努力で培ってきたことが想像されます。

 AKA博田法はすばらしい技術であると思いますが、まずはその前に、規則や規則基準に惑わされず、今はたくさんの人が認めるこのすばらしいアプローチを築きあげてきた博田先生のすごさを、改めて学ばさせて頂いたことに感謝しています。

 努力を何もしていない人間が、「ショックを受けた」なんて思う資格はないですね。明日からはもう少し自分に厳しくしていける様、頑張っていきたいと思います。

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